2005年12月14日

be here now

マイナス思考で悩みまくった結果
この命さえも無意味だと思う日があるけど
「考え過ぎね」って君が笑うと
もう10代の様な無邪気さがふっと戻んだ

Mr.children「simple」


何年か前からそうなのだけれど、金持ちになるとかならないとか学校に行くとか行かないとか恋愛が上手くいくとかいかないとか楽器が上手いとか上手くないとか山野に出れるとか出れないとかそういう事は全部意味の無い事だと僕は思っていて、なんとなれば人は皆死ぬからです。死んでしまえば当人の全ての感覚は消滅して、それは自身の感覚のみでしか世界を認識できない生物にとって過去現在未来あらゆる時間軸においての万物、万象の消滅と同義であるから、要するに死んだらいいも悪いもないのです。
そうやって僕は長らくうじうじやってきたんですけど、でも逆を言えば生きてる限りは意味がある訳であって、今すぐこの場で僕が死なない以上それはやはりとても大事でくさっちゃっちゃあダメなのだ。最終的に行き着く所が無であると解っていても、生きて繁殖して進化しようとしたり金持ちになろうとしたり山野に出たりしようとするのが人間だし生き物なのだ。本能という絶対的な根本原理によって僕は生かされていて、じゃあなんで生きてるの、なんで存在ってあるのという謎の答えは永遠に出ないのだ、多分。

「意味が無いのに生きてる意味ってあんの?」と僕が問うたら、桜井さんは「それはしらねえけど、まあ多少気持ちよかったりする事もあるんじゃないの」と言った。僕は間違ってないと思った。
posted by 大井 at 09:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何か色々考えさせられました。本当に、死んでしまったら感覚とか無くなっちゃうし、今までの良かった思い出とか悲しかったこととか一切関係なくなっちゃうんですよね・・。でも死んでしまったら関係なくなってしまうけど、それは正太郎さんの言う通り、少なくとも生きてる間は意味があるって事なんですよね。何か生きるとか死ぬとか今身近に考えられないですが、一日一日を自分の気持ちが良いように過ごせられたらいいですよね。
Posted by えりこ at 2005年12月16日 00:26
俺結構自分が死ぬ感覚とかを想像してみたりするんだけど、虫をバチンって叩けば死ぬように人も死ぬときはあっさり死ぬと思うのね。老衰にしても事故とかで死ぬにしても、死ぬ時って身体の機能が全部止まって血液が流れなくなって体温が下がっていって意識がスーッと飛んでいく感じかなあとか。

フィクションにしてもドキュメンタリーにしても死が描かれる時って重く、大きく、ドラマチックに描かれる事が多いじゃない。でもちょっと考えてみれば生き物が死ぬのなんてあんまりにもあっけない事で、そんな地球上に存在する何兆とか何京とかそのまた何兆倍もあるような頼りない存在の一つとして自分が生きていると思うと生きる事って無意味に思えるのです。あ、俺って別にいらねえなとかって。

だから訳わかんねえなと思うのは、例えば就職とかでもさしてやりたくもないのに何故か働かなきゃいけないって思い込んで、やりたくもない勉強をして、やりたくもない仕事をして「やりたくねえ」とか愚痴ったりする事で、もっと好きな様に生きればいいと俺は思うのね。建前とか常識とかにとらわれず。俺は今実際辛いからドラムもそこまでやりたくないし学校とかも全然行きたくないけど、その先に何か楽しい事があると期待してるからやり続けてるし、そうでなくなったらやめると思う。そんでこの先何も楽しい事が無いなと思ったら死んだのと同じだと思うし本当に死んじゃうかもしれないし。

実際にはもっと複雑な思考が働くからそんな簡単には死なないと思うけど、そういう生きる事に対する虚無感てのはいつも持ってます。ただ綾さんも言ってたけど「人生なんて思い込み」だから、自分が「やっぱり真面目に仕事はしなきゃ」とか「あの人のために生きるのが私の人生の意味だわ」とか思ってればそれはもう正しいんだろうし、結局自分の考えてる事がそのまま自分の人生になる訳で、そういう意味では皆好きな様に生きてるとも言えるよね。俺は自分がハッピーな感じで笑って生きてけたらいいなと思うからなるべくそうなるように生きてるっていう、結局それだけのことなんです。探してたもんはこんなsimpleなもんだったんだ、って。長。
Posted by 大井 at 2005年12月19日 11:58
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